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家族のなかで「ルーツ」が意味するもの

複数のルーツを持ちながら日本で生活する人たちが、世代を超えて受け継ぎたいと思っていること、新たに築いていこうとするものは、いったい何なのか。家族の記憶から現在の自身につながる手がかりを、インタビューを通して語ります。

ある家族が国を渡って新たな土地で根を下ろすとき、親と子が互いに、異なる環境と文化の中で育つという事実に向き合うことになります。 社会の常識や教育のスタンダードががらりと変わる状況下で、新たな形を模索しながら生きていく。 親しみ、無関心、拒絶、無いものねだり、追慕… あらゆる感情が複雑に絡み合い、その過程すべてが個人のアイデンティティの一端を形づくります。 親はさらにその親から受け継いできたルーツがあり、子はさらに次の世代へ残したいと思う価値観があるのでしょう。 一方でもしかすると、文化と時代の隔たりによって、伝えようとしたけれど言えなかった思いもあるかもしれません。 ここでは、複数のルーツを持ちながら日本で暮らすさまざまな世代の人たちを取材し、インタビューを通して家族と自身のアイデンティティの関わりをたどっていきます。

プロジェクト企画・製作者: 戈 文来(Wenlai Ge)

2021.07.12

インタビュー#1「日本人といっても、日本人らしい日本人はいないし、みんな自分らしい人間でいたらいいんじゃない」

子どものころからアルゼンチンのブエノスアイレスで育ち、21歳と19歳のときに両親の母国である日本へやってきた、ルナさんとのりさん。 以来日本で生活し、子育てをする姉妹のお二人に、お話を伺いました。

――ご両親の世代で、南米に移った経緯は?

のり 戦後、父親の家族がふるさとの沖縄に引き揚げるというときに、南米は当時すごく発展してたから、一度見てみるつもりで移民の船で渡ったと聞いてます。両親が最初に行ったのはボリビア。向こうに着いたら、もう沖縄に戻るのやめよう、ここに残って住もうということになったって。それから、アルゼンチンに移ってきたんです。私たちはまだ小さくて、覚えてないけど。

――向こうにいたときは、どんな言葉で話していましたか?

ルナ 家では絶対に日本語。親の前でスペイン語を話すとげんこつが飛んできた。でも、学校の友達と話すときはもちろんスペイン語だし、姉妹で内緒話をするときもスペイン語。

のり 都合よく切り替えて使っていたね。外で聞かれたくないことをしゃべるときは、逆に日本語だったり。

――ご家族で日本に戻って暮らすようになった理由は何だったのでしょう。

ルナ 最初はお兄ちゃんと父だけ戻ったんですね。

のり たしか当時は家のローンが少しあった関係で、ちょうど出稼ぎに来られるビザが取れて、それで日本の親戚に会いに行った。

ルナ もともとおじいちゃんが沖縄に住んでいたから、私たちもそのうち日本に行かないといけないんだなとは思ってました。

のり 一回だけ来ると思ってたよね。

――最初はずっと住むと思っていなかったんですね。

のり 私は、そうだったね。

ルナ うーん、そうね。そのときペルーの日系人と付き合っていて、ペルーに留学したあと向こうで結婚したんです。でも私はペルーの生活には合わなくて。アルゼンチンに戻るか、日本に行くかってなったときに、アルゼンチンに来てもらうのは彼に悪いなと思ったので、ひとまず日本に行った。そこでどうするかしばらく考えようと思っているうちに、結局そのまま残りました。

――19歳と21歳ではじめて日本に来たとき、どんな気持ちでした?

ルナ 空港に着いたとき、「日本人ばっかりだ!」と思ってとにかく笑いが止まらなかったです。ずっと向こうの人たちに慣れていたから。

――違う世界に来た感じですね。

ルナ そうそう!そんな感じ。自分でも不思議なくらい、ずっと笑ってました。

のり 当時は成田だったから、めっちゃ田舎じゃん!と思ってショックでした。新幹線も高層ビルもないし。乗り継ぎしたカナダの空港はすごくきれいだったのに。

ルナ 友達がドライブで新宿に連れていってくれたんです。でもそのときは、わあってあんまり思わなかったですね。すごく発展してるってずっと聞いてたから。初めて「これが日本だ!」って感じたのは、こっちに着いて二週間くらいかな、おじさんと一緒に東京タワーのふもとにある増上寺に行ったとき。建物を見て、すっごい興奮しました。

のり  私は、カラスがいっぱいいることにびっくりしました。それまでカラスといったらアメリカの映画でくらいしか見たことないから、最初はハトだと思ってて。まさか街中にそんなにいるわけないって。

――今、自分のルーツをどんなふうに捉えているか、絵に描いてみると?

ルナ ご飯とお箸でも、パンやナイフとフォークでも、完ぺきではないかもしれないけど「どっちでもいけます!」という感じね。真ん中のお皿にあるのはステーキ、サラダ、あと一品は想像にお任せ。全部でワンセット。 ちなみにアルゼンチンはイタリアやスペインからの移民も多くて、主食はパン。ただ、おうちではご飯に日本のおかず。学校の給食は無くて、午前の授業が終わると家に帰って食べてた。

のり 大半は、外人かな。でも、分けられない。混ざっているから。 向こうの人と接しても日本人っぽいなと自分で思うし、違うんだというのはちょっと感じる。 一つ言えるのは、日本人は気をつかうけど、それができない。慣れていないというよりは、あんまり意味ないんじゃない、と。気をつかうことで距離を置いてしまうから、仲良くなれないと思ってる。

戈(インタビュアー) 日本で暮らしてきた時間が圧倒的に長くて、使う言葉も感覚的にも大部分が日本。当たり前すぎて「日本」と改めて意識することもほとんど無いため、カッコ付き。 仕事では中国語をそれなりに使うことから、表面に近いところで中国がちょっと出ている。また、「自分に流れている血はやっぱり中国人なんだな」と高校生のときに強く意識する瞬間があり、それ以来アイデンティティの基盤は中国だと捉えるようになったので、中心にもポコッとマグマ溜まりのように中国がある。 こうして描いてみると、なんとなく嘘っぽい気もしてくる。難しい。

――ここからは、日本に来てからのご家族の生活についてお話を聞いていきます。お子さんは、日本生まれですよね。

ルナ 娘が2人で、20歳と21歳。

――ちょうどルナさんたちが日本に来たときと同じくらいの年ですね。今でもお家ではスペイン語ですか?

ルナ そうですね。旦那と話すときはスペイン語だけど、娘たちがスペイン語わかるようになってきて、秘密の話ができなくなってきちゃった(笑) 小学校3年生や4年生の夏休みでアルゼンチンに行ったときに、2人そろって1ヶ月間向こうの学校に通うことになって。それでなんとなく、意味がわかるようになったかな。同じ年の子どもたちと一緒に遊びながら。

――アルゼンチンの学校に行きたいと言ったのは娘さんからですか、それとも夫婦で話し合って?

ルナ 夫婦で決めました。スペイン語を覚えるためにですね。それと、向こうの子たちと交流できるように。

――のりさんのお子さんは?

のり 男の子2人と、女の子1人。上の2人は小さいとき、夏のあいだスペインの学童みたいなところに1ヶ月半くらいいました。でも、スペイン語は話せるようにならなかったね。向こうの子たちと遊んでばっかりで。言葉がわからないのに、どうやって遊んだのかよくわからないけど。

――子どもたちは、言葉が通じなくても遊べるんですね。さすが。

のり そうね。そのあと、ペルーの人たちが集まってABCとか教えてもらえるところに連れていったりしたけど、やっぱりスペイン語は覚えなくて。ただ、中学に上がって英語を習うときには役に立ったって言ってましたね。

――なるほど、意外なところに(笑)

のり 一番大きいのは、文化ですよね。文化の違い。子どもながらに気づくから。

――気づいて変わったな、と思うのはどういうところですか?

のり いや、変わらない。でも、自覚してる。日本だけで暮らしていると、親のことを変な日本人だとしか思わないけど、一度外に出ると、「ああ、親は外人なんだ」とわかるから。

――たしかに、外を体験してみないと気づかないことかもしれませんね。のりさんたちが生まれ育ったアルゼンチンのふるさとにお子さんと行ったことは?

のり あります。子どものときは一緒に行って、大きくなってからは1人で。高校を出て半年間専門学校に行っていたけど、やっぱり合わない、俺が勉強したいのじゃない、とやめたのね。 おばあちゃんに、何もすることないなら来る?と誘われて、じゃあ行こうって。最初は旅行のつもりだったんだけど、そのまま暮らすことにして、2年くらい残っちゃった。

――行く前は、スペイン語が話せなかったんですよね。戻ってきたら、ペラペラでしたか?

のり あまり話せないよ。聞き取りはけっこうできるけど。

ルナ 向こうの家でも日本語話すから、言葉には困らなかったみたい。

のり それに、職場でも日本が大好きなアルゼンチン人が集まるしね。みんな日本語を練習したいから、日本語で話す。

――思い出の写真を、少し見せていただいてもいいですか?

ルナ おばあちゃんと孫たち。まだボリビアにいたとき。

のり 真ん中にいるのが、生まれたばかりのルナね。

のり これは、初めての着物。なのに、お父さんはパジャマ。

ルナ どうしても映りたかったんだね(笑) 着物は、おばあちゃんが買って送ってくれたんじゃなかった?

のり そうだっけ。

ルナ たしかそう。お姉ちゃんが着て、私が着て、このときはのり。

――娘さんは、着たことありますか?

のり 着てないね。行ったときは、もう入らないくらい大きかったから。

のり 現地の友だち。兄弟同士も何人かいるね。

――みんな近所のお友だちですか?

のり そう。向こうの良いところは、色んな世代の人と友だちになること。

――同じ世代じゃなくても、集まったらみんな友だちになれるんですね。

のり お誕生日にカラオケしようって言われて行ったら、ケーキが用意されてたの。

――すごい!うれしいですね。ケーキも大きい。

のり 向こうのケーキはこんなもんだよ、それに甘いのね。

――カラオケと言ってもボックスではなく、お店丸ごと?

のり そう。みんな自分の好きな曲を入れるから、知らない人の曲もどんどんかかる。で、みんなで盛り上がる。だから日本のカラオケってつまんないと思って。せまいし。

――ルナさんとのりさんから見て、どんなご両親ですか?

ルナ 仕事は、クリーニング屋さん。厳しいところは厳しい。それと、日本人らしくするようにずっと言われてました。

のり 現地の人たちのこと、なんて呼んでたと思う?外人って (笑)

ルナ 本当はこっちがそうなんだよ(笑)

のり 日本に来てはじめて、「外人じゃなかったよね?」って。だからずっと日本にいる気持ちでいたんでしょうね。家の中も、日本のものが多かったです。飾りとか。

――家での食事も、日本食?

ルナ 食べものは、あるもので作ってたから、たまにスパゲティとか。

のり でも、やっぱり日本食多かったよ。売店をやっていた時期もあって、現地のお客さんに「この食材置いてない?」と聞かれたときは問屋さんで探して売るんだけど、どうやって食べるんだろうって思ってた。

ルナ 豆類なんかね、特に。

のり あと、トウモロコシの粉。ちょっとお客さんが少ないときは、どう料理するか聞いたりしてた。

ルナ 「え、食べたことないの?」って言われて。そうしたら、次の日にお客さんが作ったのを持ってきてくれた。食べたらおいしくて。レシピ教えてもらってね。

――こういう大人になりなさい、というのを言われたことはありますか?

のり どうだろう。覚えてない。私はあまり聞く子じゃなかったから(笑)

ルナ 勉強しなさいとか、こうしなさい、はあまりなかったんじゃない?勉強は自分のためだからって。

のり あの外人たちと結婚したら縁を切ると言われたことはあった。

ルナ ああ、それはあったね。

のり そしたら、じゃあこっちは外人と結婚するよ!と余計に(笑)

ルナ そこまで言うなら、私はシスターになる!と反発したり。

のり ここに住んでいて、外人と結婚しなかったら誰と結婚するの?と思ってた。

――ご両親から、自分の子どもに受け継ぎたいと思っているものは?

ルナ 家の中で日本語しか話さないのは嫌だったこともあるんです。1年生のときはスペイン語がしゃべれなくて困ったから。でも、そのおかげで日本に来た当時から何とか日本語を話せていたし、今になってありがたいなと思います。娘たちはここで生まれて学校にも行ってて、日本語は全然問題ない。ただ、私たちがおじいちゃんおばあちゃんになったら、とんちんかんな日本語になったり、スペイン語と混ざったりするかもしれない。だから逆に、ちゃんとスペイン語を覚えてほしい。

――いま生活している国以外の言葉は、努力しないとなかなか出来るようにならないですもんね。のりさんは、どうですか?

のり 親が言っていたのは、「食べもので好き嫌いする人は、人間でも好き嫌いするんだよ」と。人を選ぶんじゃなくて、その人を受け入れる。だから自分も、日本人かな、アルゼンチン人かなって考えたことはない。でも、まわりにいた同じ日系人は、私はなに?って。うちの娘もそう言ってる。「私はなに人?ハーフ?何につながってるの?」

ルナ ああ、そうね。

のり 日本人といっても、日本人らしい日本人はいないし、みんな自分らしい人間でいたらいいんじゃない?と言った。ブロッコリーが嫌いでも、食べるしかない。塩でダメだったらマヨ付けて(笑) 見方を変えていかないと。みんな人間だから。

ルナ 私はすごい悩みましたよ、こっちに来て。日本人になろうと思っても、100%にはなれない。向こうの人になろうと思っても、全然なれない。イタリアに行った友だちに、「もう日本人になった?」って聞かれて、私は何になるんだろうってずっと考えて。そうしたら、ちょうど合うのが「日系人」だった。ああ、私は日系人だ、それでいい!そうしたら、本当に楽になりましたね。

――自分の中で、これだ!と納得するものがあったんですね。私の場合、自分のルーツで悩んだときがあっても、それを親には言ってなかった気がします。

のり そうなの?最近息子にも言われた、「いつまで外人なの?」って。いま小学3年生。

ルナ 娘も高校生のときにずっと、ハーフでしょって言われてたみたいで、「私はハーフ?なに人?」って聞かれましたね。

のり 名前は日本人だけど、たぶんやることがもう、日本人っぽくないんだよね。だから息子も言われてると思う。

――お子さんに伝えようと思ったけど、言うのを迷ったり、結局言えなかったことはありますか?

ルナ ない?

のり ない。

ルナ 言っちゃうね。

のり 思ったらもうやっちゃう。

ルナ 仕事から帰るとたまに、もうイヤもうイヤ!って来ることあるんです。「そんなにイヤだったら、日本から一回出てみたら?」って言うの。海外で暮らしてみたら、どれだけ好きになるか、どれだけ嫌いになるかはっきりするから。すると「そうしよっかな」って言うんですけど。まだまだ全然、そういう動きはないですね。

――そう言ってもらえるだけでも違いますよね。何が苦しいのかもわからなかったりするし、今すぐには海外に行く力や勇気はないかもしれないけど、いずれはできるかも、と思えます。 では最後の質問ですが、お子さんにはどんな人生を送ってほしいですか?

のり 自由でいてほしい。

ルナ そうね、それね。

のり 仕事でも、あんまり何でもペコペコしたりはせずに。子どもたちはたぶん、そういうことはあまりできないと思うけど。

ルナ うん、うん。

のり できたら、外に行ってほしいね。1、2年でも暮らしてみてほしい。

――向こうでずっと暮らすということになっても?

ルナ それもオッケー。ここにいてもいいし、海外にいてもいい。自分が自分でいられたら。

のり 年とったら、帰ってきてよって言ってるかもしれないけど(笑)

ルナ それか私も行くかもしれない(笑)

のり 「また来ちゃったよ!」って。 まあ本当は、やりたいように。

ルナ させてあげたいね。

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企画・製作者

戈 文来(Wenlai Ge) [企画・インタビュー]

1988年生まれ、在日中国人二世。5歳から8歳まで祖母のいる上海で暮らす。 現在はIT企業でアジア向けの事業開発を担当するかたわら、舞台作品の演出やアートプロジェクト、演劇ワークショップの企画に携わっている。