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家族のなかで「ルーツ」が意味するもの

複数のルーツを持ちながら日本で生活する人たちが、世代を超えて受け継ぎたいと思っていること、新たに築いていこうとするものは、いったい何なのか。家族の記憶から現在の自身につながる手がかりを、インタビューを通して語ります。

ある家族が国を渡って新たな土地で根を下ろすとき、親と子が互いに、異なる環境と文化の中で育つという事実に向き合うことになります。 社会の常識や教育のスタンダードががらりと変わる状況下で、新たな形を模索しながら生きていく。 親しみ、無関心、拒絶、無いものねだり、追慕… あらゆる感情が複雑に絡み合い、その過程すべてが個人のアイデンティティの一端を形づくります。 親はさらにその親から受け継いできたルーツがあり、子はさらに次の世代へ残したいと思う価値観があるのでしょう。 一方でもしかすると、文化と時代の隔たりによって、伝えようとしたけれど言えなかった思いもあるかもしれません。 ここでは、複数のルーツを持ちながら日本で暮らすさまざまな世代の人たちを取材し、インタビューを通して家族と自身のアイデンティティの関わりをたどっていきます。

プロジェクト企画・製作者: 戈 文来(Wenlai Ge)

2021.08.18

インタビュー#2「まわりからさまざまな生き方を見つけられるような、オープンなファミリーが理想です」

フランス人の父親と日本人の母親のもとに生まれ、日本で暮らしてきた渡邊恵美里(わたなべ えみり)さん。助産師として働くかたわら、出産や育児についての知識や考え方を発信するYoutuberとしても活動しています。
家族との思い出に始まり、産院の現場で外国人の方を含む出産に立ち会って感じること、動画配信を始めたきっかけや、将来の子育てに対する夫婦の思いを話していただきました。

――フランスにいた期間と日本にいた期間は、それぞれどれくらいですか?

渡邊 生後8か月から4歳くらいまでフランスにいて、それ以外はずっと日本で過ごしました。フランスにいたころのことは、違う国というより、海辺に住んでいた印象のほうが強いです。砂の感触とか、車でよく移動してたな、とか。自然の中で暮らしていたところから、東京の都会に引っ越してきた、という感覚でした。

――ふだん話す言葉は日本語だと思いますが、フランス語は?

渡邊 フランス語はあんまり。小さいとき、言葉が出るようになるまでにすごく時間がかかったんですね。3歳とかまで全然しゃべれるようにならなくて。お母さん自身、現地でママ友が全然いなかったから、他の子どもと比較できなかったらしくて、「なんとなく遅い気はするけど、こんなもんなのかな?」って。でも妹はもっと早かったから、というかたぶんそれが普通くらいなんですけど、それであのときは遅かったんだと気づいたみたいで。
ようやくしゃべり始めてからも、フランス語がペラペラ出てくるようにはならず、それから日本で生活することに。小学生くらいまではお父さんとも関わりがあったんですけど、中学生にもなると、自然と父と娘ってこう…距離が遠くなるのもあったし、実際お父さんは大阪に単身赴任してました。その後はフランスに赴任になって、一緒に過ごす時間や話す機会もさらに減ってしまい、結果としてフランス語は自信をもってしゃべれるとは言えない感じです。

――おうちで話すとき、どんな言葉を使っていますか。

渡邊 お母さんは日本語で、お父さんはフランス語で話します。私と妹はしゃべるのは得意じゃなくても、言ってることは基本的にわかるので、どちらかに統一しなくてもそれで会話しています。
お母さんはフランスに留学して、外資系の会社で両方の言葉を使っていたので、もともと上手で。翻訳の仕事もしていました。

――フランスのお父さんのご実家に行ったことは?

渡邊 おととし社会人になってからは行けてないですけど、それまでは1年に1回おばあちゃんに会いに行っていました。おばあちゃんは英語の先生だったので、フランス語で言えないことは英語で言ってみて、コミュニケーションをとっています。私はフランス語を書くことはできないので、メールもいつも英語です。

――わりと大きくなってからフランスに行ったとき、どんなふうに感じますか?

渡邊 おばあちゃんの家に行く感覚は、たぶん国内におばあちゃんがいる人と変わらないと思います。夏休みのあいだに食べる手料理とか、甘やかしてくれる感じとか。一人で行くようになってからは、親に見られることもないのでもっと甘えます(笑) 色々買ってもらったり、昔話を聞いたり。おばあちゃんの家はパリにあって、そういう安らぎを感じる場所であると同時に、街に出るといつもと違う空間だなとも思います。
美術館がいっぱいあったり、あとはコミュニケーションをするにも、食べるものもいつもと違うからストレスがかかるところもあるけど、基本的にはリラックスしにいく場所ですね。

――いま自分のルーツをどんなふうに捉えているか、絵に描いてみてください。

渡邊 「ルーツ」という言葉のイメージが強いので、最初に連想するのは「根っこ」ですね。
大きな根っこは、日本人としての私。その根っこも、こういう部分から栄養をもらってたり、また違う部分から取り入れていたりと枝分かれしてる。フランス人としての私の根っこはけっこう細身。フランス人としての教育とか、過ごしている時間が少ないから。色んなところから吸い上げてきたすべてが混ざりあって、いくつものお花――私の今、になっているイメージです。
ただ、パッと思い浮かんだこの形がそこまでしっくり来ているかというと…人から与えられたイメージを内面化してるんじゃないかなとも思っちゃう。きっとこんな感じなんだろうという気はしつつ、深く内省していったら違う答えもありそうだなあ、というモヤモヤがあります。

――家族にまつわる思い出のものや写真はありますか?

渡邊 フランスにいるおじいちゃんおばあちゃんと私、です。おばあちゃんちは別荘がお城みたいで、その前で撮りました。

渡邊 これが、日本のおじいちゃんとおばあちゃんです。同じ構図で。
小さいときに、この2枚をお母さんが額に入れてもらってから、ずっと家に飾り続けています。
昔フランスに住んでいたときは南部のほうだったので、父方のおばあちゃんのいるパリとも、日本のおばあちゃんとも離れている時期だったから、写真を飾ることで身近に感じられるようにとのことだったと思います。

――恵美里さんから見て、ご両親はどんな方ですか?

渡邊 どう思ってるのかな。反面教師かなあ。お互いの考えていることや願いとかをきちんと言葉にしないで、言わなくてもわかる、と言っていたけど、結局言葉がないと本音が伝わってないように娘としては思います。それは言語の違いとか国際結婚だからということではなくて、コミュニケーションの問題かなと。

――そばで見ていて、もっと共有できることがあったはず、と感じるのでしょうか。

渡邊 そう、ですね。でもそう思えるようになったのは大人になってから。自分自身の結婚もあったからかもしれない。私はいま思っていることをちゃんと夫とシェアできているし、他の夫婦との出会いもあって、こんなふうにできるのであれば夫婦というものも悪くないなっていう感じです。
子どものときは、言葉無しで通じ合えるのが家族なはずなのに、通じ合えないのはなんでなんだろうと思ってたんですね。二人のそういった思い込みみたいなものに私もとらわれていて、うまくいっていない理由がわからなかったです。

――反面教師という言葉もありましたが、将来の子どもに向けて、ご両親からもらったなかで引き継ぎたいこと、もしくはご両親とは別の形で残したいと思うことはありますか?

渡邊 プラスのことでいうと、言葉でないと伝わらないような、論理を尽くして話をするということ。コミュニケーションが全くないわけではなく、例えば政治や経済に関して、議論はたくさんしていた家族だったんです。すごく矛盾しているんですけど。自分の意見を価値のあるものとして認められるようになったのは、家庭環境のおかげだと感じています。
ただ、何かに対して「私はこう思う」という意見以外での感情の部分では、相手にそれとなくわかってもらおうとするんじゃなくて、ちゃんと言うべき時に言う、みたいなのはわが家にあんまりなかったから、そういうところはむしろ自分で発見したものとして、受け継いでいきたいなと思います。

――恵美里さんのお仕事について伺いたいと思います。助産師さんになろうと決めたきっかけは何でしょうか。

渡邊 中学生のときには、結婚したくないと心から思ってたんですね。お母さん自身が、結婚して出産したことで仕事を辞めたのがいやだったらしいんです。でもそれをあまり言えずにいたみたいで。子どもができたら仕事もやめなきゃいけないし、好きなことを続けられなくなると私も思い込んでいました。
看護師には幼稚園の時から憧れがあったし、高校生になって、女性が自立して一生いきていくにはやっぱりこの仕事だ、と決めたのが大きいですね。ある日、赤ちゃんがいなくなっちゃうという夢を見て、すごく悲しくて、つらかったんです。そのとき急に、母性本能じゃないけど、自分の子どもを抱っこしたいというピュアな感情が生まれて、面白いなと思いました。
女性が母になる瞬間、男性が父になる瞬間をサポートするのが助産師という仕事です。私のやりたいことと興味に合致しているので、看護師の資格を取った上で、助産師の資格も取りたいと思いました。
ただ、そのタイミングがちょうど受験の直前だったこともあって、そのとき第一志望だったところは看護師と保健師の資格しか取れない学校でした。お母さんに志望校を変えたいと話してみたけど、土壇場の変更だとそのうち後悔するかもしれないから、ずっと行きたかったところにしなさいと言われて、その学校に4年間通って看護師と保健師の資格を取ったあとで、2年間他の大学院にいって助産師の資格も取りました。結果的にはそのやり方が自分に向いていたと思います。のんびりした性格なので、一度にいくつも取れるように勉強するのは大変だったろうし、大学院で恩師と思える良い先生たちとの出会いもあったから。
大学院では、外国人のお産のサポートについてたくさん考えて、それらをまとめた課題を提出しました。

――たしか現在のお勤め先でも、ネパール人の出産が多いと聞いていましたが。

渡邊 月で30~40人のお産があるうち、5~6人くらいはネパール人ですね。職場の近くにインド人とネパール人のためのインターナショナルスクールがあって、そこに通わせるために家族で阿佐ヶ谷に暮らしている方が多いです。第2子、第3子を阿佐ヶ谷で産み、そのうちに初産の方でも、親戚や知り合いがここで産んだと聞いてやって来るという流れになっています。
新型コロナが広がる前は母国のネパールに帰って産む人が多く、月に1人くらいだったんですが、今は里帰りができないので、増えてきていますね。日本語が話せない方がほとんどです。たまにすごく上手な方もいますが、日本で働いたことがないか、マックの調理場に勤めている方が多く、コンビニで働いているような方はいないです。
やはり、コミュニケーションが難しいです。自分が大学院にいたときは、「やさしい日本語」で話せば在日外国人の多くの人は通じるとか、その人の文化を尊重してこちらからは押し付けたりしないとか、さまざまな文献をもとにした結果このやり方が一番いいと考案したんですけど、机上の空論だったなと思って。
どういうわけか、ネパール人のお産が危険になる確率が日本人よりも何倍も高いんです。これといった理由はドクターたちも解明できていないんですが…。
日本の病院は、食べるものや体重管理など妊娠中に気をつけるべきことを細かく伝えます。同じように通訳の方を介してお伝えはしているものの、ネパールではそういうことをあまり気にしないのかもしれない。もしかしたらネパールでは残念ながら亡くなってしまうようなケースが、日本だとサポートが入ることで結果的にハイリスク出産になるのかもしれない。本当のところはまだよくわかっていません。
でも、コミュニケーションの問題が大きいのかもしれません。言葉が通じないせいで、私たちが症状をキャッチできない、逆に私たちが伝えたいことを本人たちがキャッチできない、そういうことが積もり積もって母体も赤ちゃんも危険になるケースが多いと感じます。いまは通訳の方が1人しかいないため、その場で伝えきれないことはあとで目を通してもらえるよう、全部ネパール語で書いてある冊子もお渡ししているんですが、そもそもパンフレットなどの文章を読む習慣があまり無いみたいで。

――体制がしっかり整っているからこの病院なら受け入れられます、ということではなく、近くにたまたまネパール人コミュニティがあって、加えて新型コロナの広がりによって通われる方が急に増えたんですね。状況に合わせて対応していかないといけない恵美里さんたちスタッフはかなり大変だと思います。

渡邊 通訳の方を雇うのもそうですが、普段だと鯛の尾頭付きのお祝い膳をお出ししたりするところを、ネパールの人はそれだと嬉しくないかもね、ということでタンドリーチキンを用意したりと、なるべく幸せなお産にしたいという思いから工夫をしています。
ただ、スタッフのあいだでも温度差がありますね。結局のところ医療費は同じなので、手間がすごくかかることでコストがかさんでしまう、だからネパール人ばかり増えてしまうと困る、という人もいます。一方で、この病院がしっかりと体制を整えれば、ネパール人も安心して産めるからがんばろう、と言って、グッズを作ったり、読みやすいようにパンフレットの文章をなるべく少なく編集し直したりするスタッフもいます。

――助産師として働き始めて、どんなところにやりがいを感じますか?

渡邊 やっぱり、自分がケアしたことで良いほうに結果を出したときですね。最近一番うれしかったのが、赤ちゃんが障害をもって産まれて、小児科に入院になってしまったケースがあって。小児科自体は、お母さんのいる部屋からエレベーターを使って30秒くらいで行ける距離ではあるんですが、赤ちゃんのことが心配でお母さんは産後ずっと眠れない状態が続いていました。その時期、私は助産師向けの足ツボの講習を受けて、眠れるツボやむくみをとるツボも教わってたので、「足、マッサージしますよ」と申し出たんですね。いま一番不安に思うことなど色々とお話をうかがいながら足をもんだら、そのあとスッキリ眠れた!と言ってくださいました。しかも母乳もたくさん出るようになって、赤ちゃんもいっぱい飲んで元気になって…と良い連鎖が続いたので、あのとき足ツボやってよかった、いい仕事選んだなと思います。

――Youtubeの「みんなで育つチャンネル」について伺いたいです。よくある出産や育児関連の動画は、お母さんが抱える目先の不安を解消するための内容が多いですが、恵美里さんたちの動画は、共同養育の話など、その先も考えていきたくなるような、視野を広げてくれる内容が盛り込まれていると思います。ご夫婦で企画されているんですよね。旦那さんは出産や福祉に関わる仕事をされているわけではないとのことですが、子育てを考えるという姿勢で共通していて、一緒に作っているということでしょうか。

渡邊 はい、そうです。それに専門職だと、かえって素朴な疑問みたいなところがわからなくなってしまうのもあります。夫に何気ない質問をされたときに、あ、たしかにそうだねと思って話をすることもあります。

――Youtubeで発信しようと思ったきっかけは何ですか?

渡邊 ちょうどコロナでひまだったから、というのもあるんですが、4月に産科で働き始めてから、お母さんたちに説明をする機会がとても多く、お産のことを知識として知っていても、相手に伝えることはまた別だなと気づいて、その練習がしたいなと思いました。話す練習をするにあたって、より正確な情報を調べることは自分の勉強にもつながります。それが短期的な目標ですね。
もう一つ、ゆくゆくは自分で事業を興したいという野望があって、そのときに誰にも知られていない状態で始めるのと、すでにYoutubeで発信している状態で始めるのとでは、こちらのほうが有利なんだろうな、という考えもありました。

――なるほど、そういった野心もあったんですね。1年目でそこまで考えられるのは、すばらしいと思います。

渡邊 そうですかね(笑) 今の職場はすごく居心地がいいんですが、前にいたところが整形外科で、あとから考えると仕事内容も人間関係もしんどかったなと。自分自身がほっとできる場所を作りたいと思ったのも、起業したいと決めたきっかけになりました。

――夫婦の子育て観について聞いてみたいと思います。私もまだそこまで実感はないのですが、それでも子どもについての話し合いをするときは、もうひとり別の人生にかかわることだと思うと、夫婦同士で完結することとは違った難しさがあるなと感じます。恵美里さんたちは子育てについての考え方を、どんなふうにすり合わせていますか?

渡邊 わが家はまだ先のことではあるんですが、一つあるのは、夫は現代アートの作家で、アーティストとしていろんな人に興味をもって関わって、その人から気持ちを引き出すのが上手なんですね。子どもに対しても同じような態度で関わっていきたい、という話はしています。たとえば宿題やりたくないってなったときに、やりなさいと言ってバトルをくり広げるような仲ではなくて、「なんで宿題をやらなきゃいけないんだろうね」と同じ目線で一緒に答えを探していくような親子関係が理想だよね、というのはシェアしています。子どもにこういうことをしてあげたい、というよりは自分たちのあり方についてですね。

――最後に、将来どんな家族になりたいかという思いはありますか?

渡邊 共同養育の考えにもつながるところで、自分にはお父さんとお母さんしかいない、と子どもが思ってしまうよりは、いろんな人に育ててもらうのが子どもにとってもいいことなんです。
自分の過去を振り返ってみても、家族がこういうものだとか、親というのはいつもケンカし合っているものだ、ということが植えつけられてしまうとかわいそうだから、こんな考え方もあればこんなことを言っている人もいると、まわりからさまざまな生き方を見つけられるようなオープンなファミリーが理想です。



▼Youtube「みんなで育つチャンネル」

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企画・製作者

戈 文来(Wenlai Ge) [企画・インタビュー]

1988年生まれ、在日中国人二世。5歳から8歳まで祖母のいる上海で暮らす。 現在はIT企業でアジア向けの事業開発を担当するかたわら、舞台作品の演出やアートプロジェクト、演劇ワークショップの企画に携わっている。