logo.jpg

ABOUT

MAIL

ARTICLE

日本ミャンマー個人的友好活動

当初抱いていたミャンマーへの憧憬、実際の在日ミャンマー人たちとの交流、そしてクーデターを経た試行錯誤の個人的記録。

2021年2月1日、国軍が起こしたクーデターにより非常事態宣言下にあるミャンマー。一部で「アジア最貧国」とも言われているミャンマーは、敬虔な上座部仏教徒が大半を国民の締める「世界一慈悲深い国」でもあります。2019年の暮れに京都で10日間の瞑想合宿を体験した私は、ブッダが悟りを開いたとされる瞑想法を2500年間、守り続けてきたミャンマーという国に強い関心を抱きました。渡航がかなわないコロナ禍、在日のミャンマー人たちと知り合うなかで多くの情報が入ってくるようになり、当初抱いていたミャンマーという国の印象は変容し続けています。これはミャンマーに関する私の個人的な記録です。

プロジェクト企画・製作者: 宮原朋之

2021.07.12

01

ミャンマー軍事クーデターに抗議するデモ|渋谷の公園りで待機する約3000人の在日ミャンマー人(2021年2月14日)撮影:宮原朋之

2021年2月1日に報じられた、ミャンマーでの国軍によるクーデター。今となっては信じられないことに、私は他のネガティブなニュースと一緒に、ため息一つで流してしまっていた。

この半年、ミャンマーについて関心を寄せ続け、ミャンマー人とも知り合ってきたにも関わらず、起きた事実の重大さを認識できていなかった。今も決して胸をはれるわけではないけれど、当時それほどミャンマーについて無知だったということになる。

ようやく自体を把握すると、これまでに出会ってきたミャンマーの人たちの顔を思うかべて、次会った時にどんな会話ができるか考える。でも、かけるべき言葉が見つからない。そもそもそれほど日本語が堪能じゃない相手と、この件についてそれほど理解していない私で、どんな意思疎通ができるというのだろうか。

このプロジェクトでやりかけてきたこと、やろうとしていたことを改めて一から考え直す必要があった。制作しようとしていたものは、クーデターを経た今、あまりに牧歌的すぎる。それをそのまま実施するには、在日ミャンマー人に対して失礼にあたるんじゃないかとすら思っていた。東日本大震災で経験したような、以前と以後のあまりのギャップに、現実のいろいろなものが無効化してしまった感覚が思い出される。

当初計画していたものは、「やさしい日本語」で書かれた日本在住のミャンマー人同士の交流を促すコミュニティー誌の制作だった。すでにミャンマーの方に実際にインタビューをして、モック版を制作していた。

ミャンマーには『THE VOICE』というメジャーな新聞紙がある。それを誌名に拝借して、毎号取材した人の名前が入った『THE 〇〇's VOICE』。紙面には「日本での生活」「好きなもの」「将来の夢」などが並ぶ。インタビューした内容を私が構成した、片面A3サイズ4色刷りのタブロイド紙だ。

軌道に乗ったら、ミャンマーの文化も紹介して日本人が読んでも楽しめる内容を増やしていく。日本人とミャンマー人どちらが読んでも面白く読める媒体にしていきたい。ミャンマーの人たちにも制作メンバーとして協力を募り、一緒に作っていきたかった。

ふと、現状を思い返す。クーデターから5か月が経過し、この非常事態は最大2023年1月まで続く(ミャンマーの現行の法律では非常事態宣言の期限は1年、その後最大1年は延長することができる)。日本で報じられる痛ましいニュースが常態となり耐性ができはじめた今のタイミングなら、改めてクーデターを経たポジティブなコミュニティー紙を作ることができるんじゃないか。

最後にあったのは2月14日。代々木公園からスタートするデモ行進の列に並んでいたのを偶然見かけた。いろいろな思いを抱えながら待機しているだろう彼らに、その時は「こんにちは、久しぶりです」以外にかける言葉が見つからなかった。でも今なら笑顔で彼らと会える気がする。そして、話したいこともたくさんある。

PAGE 1

企画・製作者

宮原朋之

カルチャーウェブメディアの編集者。コロナ禍以降、絵を描き、土をいじる。